山口産業株式会社 山口 篤樹社長

テント素材で社会課題の解決を。異業種との協業から可能性を追求し続ける。

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今回は、山口産業株式会社 代表取締役社長 山口篤樹 様です。

【Profile】
山口産業株式会社 
代表取締役社長 山口篤樹
1959年佐賀県多久市生まれ。専修大学卒業後、株式会社コガネイ(旧・小金井製作所)に就職。工作機械の部品営業としてキャリアをスタートする。東京、大阪、京都での勤務を経て1987年6月、山口産業株式会社に入社。1992年9月、取締役就任。1995年8月、代表取締役社長に就任。全国に営業拠点や工場を展開するとともにMEMBRANE LAB.の設立、佐賀さいこう企業賞の受賞など多方面にわたる取り組みで業績と企業価値の向上に取り組む。

目次

大型テント建築物メーカーの第一人者として

山口産業株式会社 テント倉庫内観

山口産業株式会社が手掛けているのは膜構造建築物。膜構造(まくこうぞう)とはちょっと聞き慣れない言葉かもしれませんが、簡単にいえばテントです。倉庫や駅舎、スタジアム、公共施設、シェルターなど、お客様のニーズに応える形でさまざまなテント素材を使用した大型建築物を製造してきました。

単なるテントメーカーであれば全国に2000社ほど存在しますが、大型テント建築物を扱えるのはそのうちの30~40社程度。山口産業はそのうちの1社として100平米を超えるテントを企画・設計・製造しています。

2023年現在は佐賀県を拠点に東京、北関東、仙台、名古屋、大阪、福岡、北九州、八女、宮崎に営業所を開設。佐賀と北関東には工場を擁しています。開発から設計、製造、販売まで一貫して自社で行っており、豊富な実績と確かな技術、スピーディでフレキシブルな対応力が強みです。

製品実績としては産業用、建築用、農業・畜産用、商業用、イベントテント、防災用と幅広い領域をカバー。また発祥がテント・シートの縫製工場だったことからグランピングテントやシートといった小規模なアイテムまでバラエティ豊かな製品ラインナップを誇ります。

未来に向けた独自性の高い取り組みを

山口産業株式会社 ドームテント(商業用製品)

当社は今年で設立48年を迎えます。私で2代目となるのですが、就任後にはISO認証取得や全国拠点展開などさまざまなチャレンジに取り組んできました。その中でも特筆すべきは自社ブランド『MEMBRY』と社内プロジェクト『MEMBRANE LAB.』の立ち上げです。

まず『MEMBRY』ですが、いまから約10年ほど前に立ち上げたオリジナルブランドになります。ブランド名の由来は「Membrane(膜)」と「Brilliant(輝かしい)」を組み合わせた造語。山口産業という名前だけではなかなか膜構造の建築物とは結びつかないので、ブランドをつくってサブネームとして浸透させていければ、という狙いでした。

ブランドネームは社内で公募しました。当時の社員は50名ぐらいでしたが公募には30案ほどエントリーがありました。私ではなかなか思いつかないようなネーミングもあり、驚かされたことを覚えています。いまでは産業倉庫から建築・公共空間の提案まで山口産業が提供する製品の総合ブランドネームとしてマーケットに一定の存在感を示せるまでに成長しました。

そして2019年に立ち上げられた社内プロジェクト『MEMBRANE LAB.』。もともと山口産業は主力製品である産業用途の膜構造建築物を通して企業の課題に応え続けてきました。ただ事業規模や製品分野が拡大していく中で、企業だけでなく社会全体が抱える課題に対しても何らかの解決策が提示できるのではないか、という発想から生まれたラボです。

▼『MEMBRANE LAB.』

https://membry.jp/membrane-lab/

単純に社会課題をネットから拾ってくるのではなく、異業種の人たちと協議し協業することでより深いところにまで届く取り組みになる。これからの膜構造の可能性を追求するプロジェクトともいえます。

ただ社会課題への取り組みはラボを立ち上げる以前から手掛けていました。たとえばテント畜舎。畜産農家さんから難易度の高いオーダーがあり、それに応える形で当社の技術と知見を投入して研究開発を進めていきました。そこから生まれた製品が結果として畜産業界全体の課題解決に繋がったわけです。こうしたケースをどんどん増やしていくこともプロジェクトの狙いのひとつでもあります。

ひとつのプロジェクトは4名~10名程度の規模。それが30件もあるんです。プロジェクトでは私が思いつかないようなことをやっていて、発表会では若手メンバーがしっかりとプレゼンテーションしています。彼らの発表を見ていて感心するんですよね。私が若い頃はこんなことできたかなって(笑)。その時点でラボをやってよかったと思います。もちろん商品化に至ったプロジェクトもあります。

ただがむしゃらに、会社をつぶさないように

山口産業株式会社

ここで代表に就任した頃に時計の針を戻します。と、同時に山口産業の歴史も少しお話しましょう。当社は私の父が1972年に創業した会社で、最初は炭鉱資材を扱っていました。炭鉱の坑道に空気を送る送風管をテント膜でつくっていたんです。そこから炭鉱の閉山にあわせる形で主軸事業を構造建築物に移していきました。

私はもともと会社を継ぐ考えはなく、大学進学と同時に上京。家業とはまるで無関係の業界で機械の部品営業として東京、大阪、京都でスキルを磨き、キャリアを積んでいました。しかし炭鉱閉山に伴い事業縮小を余儀なくされ、廃業まで考えているという話が耳に入ってきます。

継ぐ気はなかったとはいえ、せっかく父が一代で築き上げた会社です。しかも技術もノウハウもある。従業員だっています。これだけの人と技術と組織をそのまま畳んでしまうのはもったいないと思い、28歳で山口産業に入社しました。当時、父からは会社を継いでほしいというような言葉はかけてもらっていませんでしたが、それでも嬉しかったようです。

まずは工場で製造に携わるところからスタート。さらに図面も引けば営業もする、という感じでなんでもやりました。当時は20名そこそこしかいませんでしたから、一人二役三役の活躍が求められるんです。でもその環境のおかげで深い業界理解、事業理解に繋がりました。その後、1995年に父が他界したタイミングで代表取締役に就任しました。

就任時はとにかくがむしゃらでした。なんとか会社をつぶさないように、ひたすら前を向いて頑張るしかありません。建築に進出するために二級建築士の資格を取得したのもその頃。そしてテントから膜構造建築へ、佐賀から全国へと事業規模を拡大してきました。いまでは従業員130名に。就任当初では考えられない成長を遂げられたと思います。

面白いのは三男の入社をきっかけに、息子たちが兄弟揃って山口産業で活躍してくれていることですね。長男は営業部長、次男が設計の責任者、三男は製造責任者で四男は大阪の営業部門を見てくれています。おかげさまで後継者問題で頭を悩ませることはなさそうです。

いかにお客様に喜んでもらえるか

山口産業株式会社

会社として大切にしているのは「いかにお客様に喜んでもらえるかを一番に考える」こと。具体的にはスピード重視ですね。どこよりも早く見積もりを出し、どこよりも早く対応する。この価値観はいつの間にか社内に浸透していて、私からの無理難題にもみんな手早く対応してくれる。社員には本当に感謝しています。

そういうこともあってか、私にとっては社員が一番大切です。社員があっての会社ですし、同族経営ではありますが決して私の会社ではなく、社員の会社だと考えて行動しています。そのための賃金体系の変更や働きやすい環境の整備、やりがいのある仕事を提供するのが私の役目だと思っています。

さらに地域への貢献という面では、まずこの佐賀県多久市に所在していることそのものがひとつあげられるのではないでしょうか。従業員130名で売上利益を上げている。雇用創出と税収面で多久市の役に少なからず立っていると思います。さらに多久市が防災協定を結んでいる都市には災害時にテントの拠出などで協力することを約束しています。

また佐賀県といえば『佐賀インターナショナルバルーンフェスタ』で有名ですが、山口産業も自社のバルーンで参加しているんですよ。世界的な大会に参加することで佐賀県に山口産業あり、ということをアピールしています。

こうした取組みが評価されて、優れた技術やものづくり、創造的なサービスで佐賀県の経済や地域社会を牽引する企業を表彰する『第8回佐賀さいこう企業』に選ばれました。社員一人ひとりにとっても誇らしい受賞だったのではないか、と思っています。

“来ると気分のよくなる会社”を目指して

いま48期なのですが、50期50億という目標を掲げています。これは全員で目指している指標で、この規模になればそれなりの会社として存在感が増すのではないかと考えています。しかし数値目標以外にも大切にしているゴールがあります。

それは山口産業を訪れた人たちの気分がよくなる会社になること。なんかいいよね、なんか明るくて気持ちいいねと思ってもらえて、また足を運びたくなる、そんな会社を目指しているんです。いまでも気分良くなってもらえる自信はあるんですが、もっとですね(笑)。

事業領域として新たな展開を期待しているのは食の分野。今後は農業漁業に一層力を入れていくべきだと考えています。実際に畜産や養殖漁業からは引き合いも来ていて手応えは充分。当社の膜の技術が活かせる可能性が大いにあると睨んでいます。

『MEMBRANE LAB』発足後、最初のワークショップで設定された山口産業のパーパスは「最前線に膜を張る」でした。さらに2回、3回とワークショップを重ねるたびに生まれるアイデアや事業の種をひとつひとつ整理して、社会課題の解決や持続可能な膜産業の構築につなげていきたいですね。

いま、山口産業にはさまざまな分野からいろいろなスキルを有した人材が集まってくれています。地方なのにこんなに人材が豊富な会社もないんじゃないかと自負しています。共に働く仲間に求めるのは明元素、つまり明るく元気で素直であり、自ら新しいことに挑戦していく積極性のある方ならきっと楽しく活躍できるのではないかと思います。

【URL】
山口産業株式会社の公式サイトです。

https://membry.jp/

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社名:山口産業株式会社
本社所在地:佐賀県多久市多久町3555-120
設立:1976年
事業内容:膜構造建築物、合成繊維/金属及び合成樹脂保安用資材、一般産業資材並びに製品販売、化製品の製造並びに販売、建設業
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